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ベートーベンの「月光」
2005-12-02 Fri 00:00
ベートーベンのピアノソナタ「月光」は、1801年作曲。

ピアノ-ソナタ作品二七の二の通称をいうという。

月光とは、月のひかり、つきかげ。

7月10日(土)「勝守寛さんを偲ぶ会」が、名古屋YWCAのビッグスペースで行われた。

会場は、北海道から沖縄まで100名を越える人が集まった。

生前、勝守寛博士がよく聴いていたというベートーベンの月光が流れていた。

この「月光」の曲が流れる中、各界からの追悼の言葉が続いた。

元キャスターで、ペンクラブの小中陽太郎さんや世界連邦国際理事で外資系石油会社の元社長の高木旭さんのほか、全国各地の「9条の会」の活動家。

口をそろえて言うのは、博士の穏やかな人柄、高潔な人格。

私も在りし日の博士の姿を思い浮かべながら、涙を堪(こら)えて聞き入った。

ここで私事を語ることが許されるなら、私は世界連邦の中京支部が誕生することを新聞記事で知り、博士宅へ電話したのが、博士と初めての出会いだった。

それ以来のお付き合いとなる。

博士は物理学を学ぶために、九州大学理学部へ進む。

終戦の年、米軍による大曽根大空襲(名古屋)で反骨のジャーナリストであったお父さんを亡くされた。

学部退学の危機。

父親は憲政の神様、尾崎行雄と親しく、自宅には尾崎行雄の銅像があって、勝守博士は子供のころからこの銅像の掃除をさせられ、尾崎行雄の後援会もお手伝いしていたという。

尾崎行雄はこの年、第89回帝国議会(最後の議会)で、世界連邦決議案を国会に提出している。

8月、広島と長崎に米軍による巨大爆弾が投下される。

博士はそのときすでに原子爆弾と分かったそうだ。

京大へ助教授として招かれる。

そこで、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士と出会う。

中間子の研究に、湯川博士は戦後初の民間人として、スミ夫人、家族と渡米。

プリンストンの高等研究所でアインシュタイン博士と出会う。

このときアインシュタイン博士は湯川博士の手を固く握り、ヒトラーに対抗するために開発した原子爆弾が広島、長崎に投下されたことを涙を流して詫びたそうだ。

ヒトラーに追われたア博士こそ、ルーズベルト・米大統領に原爆開発を進言した張本人だった。

ア、湯川両博士は物理学の研究の合間、世界平和について議論、そこで世界連邦を提唱した。

スミ夫人は、両博士の世界連邦についての考えを手紙に書き、尾崎行雄に送った。

世界連邦という糸が幾重にも勝守博士と結びついている。

勝守博士は中部(工)大学に移る。

勝守先生は、日本を代表する知識人であった。

世界連邦に情熱を燃やし、死の最期まで、世界平和に、その魂を傾けた。

ご冥福をお祈りします。
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