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がんばれヤクルトおばさん・亡き母を偲ぶ
2008-08-28 Thu 09:55
人家も無い堤防から下る、こんな田舎道にも、「ヤクルトおばさん」が、がんばっている。

よく見ると、おばさんとは失礼、まだ若いお母さん。

なだらかな坂道を商品を詰めた大きな荷物が、右へ左へと、ゆらゆら揺れながら、自転車が下っていく。

きっと家計の足しにと、お母さんは家族のために精一杯働いているのだろう。

ああ~だめだ。目に涙がたまってきた。

ヤクルト・ママを見ていても、お袋を思い出す。

朝5時に起床。

洗濯、食事の用意をして、7時半には、後片付け。

8時には、もう内職を始めていた。

自分のため、家族のために、よく働いた。

お袋は、一生懸命に働いた。

ヤクルト・ママも、子どもの服や靴、鉛筆やノート、あるいは家族団らんのレジャーのため、自転車のペダルをこいでいるのだろう。

その一生懸命な母親の姿は、子どもにとって、どれほど大きな目に焼きついているか、はかりしれない。

がんばれヤクルトおばさん!!

自分のため、家族のために。
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亡き母を偲ぶ・家族
2008-08-26 Tue 09:52
お袋にとって、かけがえのない宝物は、家族だった。

お袋の母親は、ヘルニアに悩まされ、家事労働がままならず、お袋がまだ子どもの頃、亡くなった。

父親だって、長命とはいえない。

妹だって、50歳に届かず、先立たれた。

お袋は血縁が薄いと言っていた。

だから自分の子どもを心のよりどころにして、家族を何よりも大切にしてきた。

だから逆縁を恐れていた。

お袋にとって、子どもの一番の親孝行は、自分より長く元気で生きること。

決して先に逝ってはならなかった。

田舎から東京に出て、有名大学、一流金融機関と進み、数年ごとに全国を渡り歩く、いわゆるエリートたちを親の死に目にも会えない、

と、うらやむことなく、両親に同情を寄せていた。

お袋にとって、幸せとは子どもたちが身近にいて、家族に囲まれること。

介護ベットに横たわるお袋は、覗き込む家族の顔を見て、幸せを感じていたのだろう。

お袋が買ってくる置物が庭に並べられている。

親子蛙に、狸の家族=写真。
kaz2
kaz1

狸はまだ買い続けるつもりでいたようだが、数匹の核家族に終わった。

http://ameblo.jp/public/image/displayimage.do
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亡き母を偲ぶ・アルバム
2008-08-25 Mon 10:27
たくさんのアルバムがある。

旅行、ドライブはかなり行っている。

必ずといっていいほど、家族と一緒に記念写真を残す。

きちんと整理したアルバムに収めてある一枚一枚の写真を見ると、お袋は自分の生きた証しを写真の一枚一枚に託して、残していったのかと思う。

どの写真もいつも真ん中がお袋、家族の中心だった。

生前、「亡くなったら、ヨーロッパ旅行の写真をもらえないか」とお袋に切り出したら、一呼吸おいて、兄夫婦が言いといったらいいということだった。

その意味を深く聞いておかなかったが、」お袋は自分のアルバムを実家に残しておきたかったようだった。

自分より先に長男夫婦と二男、孫が死ぬなんてことはあってはならない。

それを見ることなく、亡くなっていくことが自分にとって何よりなこと。

お袋はそう語っていた。

死は、いかに権力があろうと、どんな人間でも逃れることが出来ない歴然たる事実。

そんなことは分かっていても、いざ死に直面すると、残された家族にとっては悲しみでしかない。

お袋は喜んで死を待っていたように息を引き取った。

何の悔いもなく、何の外連味(けれんみ)もなく、完全燃焼させた一生だったのだろう。

最期にお袋は「幸せだった」という言葉を家族に残した。

明日ありと 思う心の
  あだ桜 夜半に嵐の
     吹かぬものかは

親鸞が9歳のとき出家得度して詠ったとされる。

はや四十九日法要を終える。
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亡き母を偲ぶ・兄嫁へのプレゼント
2008-08-20 Wed 10:00
長い間、お袋に仕えた労苦に報いるため、兄と2人で兄嫁にささやかなプレゼントを贈ることになった。

3年前、腸に悪性のがん手術。

腸が破裂して、何日もたまっていた便が体中に散った。

大変な手術になって、人工肛門となった。

お袋は嘆き悲しんでいた。

退院。自宅に戻って、風呂に入るときに、人工肛門から便が天井に届かんという勢いで噴き出した。

兄は呆然と見ているだけ。

兄嫁が機転を利かして、すぐさまお袋の人工肛門を手で押さえつけたという。

2年前、再手術をして、校門は元に戻った。

お袋は喜んで、明るい表情をしていた。

だががんは確実に進行していた。

兄夫婦がまたして病院に呼ばれ、入院して抗がん剤投与を打診された。

その夜、お袋はそれを拒否した。

ふさふさの髪がなくなり、歯はがたがた。

そんな醜い顔になってまで、延命措置はいらないというお袋と親子喧嘩が始まった。

兄嫁は泣き出した。、

実家から日曜日の夕食を呼ばれた。

静まり返った食卓に、お袋一人だけが普段通りの饒舌(じょうぜつ)ぶり。

家族はみんな黙って、お袋の独演会を静かに聴いていた。

自分の両親よりも長生きした。

  お袋の母親は若い頃からヘルニアに悩まされ、若くして亡くなった。

  小さい頃から母親代わりに父親と妹の面倒を見ていた。

もう十分生きた。

これより長生きしては、かえってみんなに迷惑をかける。

こんなことを口にしていた。

 x  x

兄嫁はお袋の秘書、ボディーガードをしていた。

お袋が銀行のキャッシュコーナーで下ろした大金50万円を忘れきた事件があった。

気付いてすぐに戻ってみたら・・お金は無い。戻らなかった。

お袋は「株ですった」と思えばいい、とさばさばしていた。

こういうことがあっても、お袋は通りで拾った財布を黙って自分の懐に入れない。

派出所に届け、期間がたち、持ち主が現れず、しかもその全額を子ども会寄付した。

話を戻そう。

事件の後、銀行へは兄嫁が同伴することになった。

こういうこともあって、お袋が亡くなって、兄嫁へのプレゼントをすることになったが、何にする?

姪(兄夫婦の一人娘)のアドバイスもあって、エルメスのバッグ?

兄嫁は娘と親子で、ブランドめぐりをして、シャネルの財布を見つけた。

気になるお値段は、9万円。

兄と顔を見合わせ、2人で大笑い。

誰が買うの?

で、エルメスのカバンは?

目が点になった。小さいので30万円。ちょっとしたものは、100万円以上とか。

そして昨日、プレゼントは結局、このシャネルの財布とヴィトンのバッグとなった。
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亡き母を偲ぶ・最期の笑顔
2008-08-16 Sat 20:05
ベッドの上でリップクリームを塗った。

お袋は若いころから化粧品を使わない。

口紅も、アイシャドーも・・

スッピンで通した。

化粧品を使うのは、手足が荒れるかといって、ハンドクリームと唇がかさつくとリップクリームだけ。

ほとんど寝たきりの状態でも、ベッドの横に、その二つを置いていた。

リップクリームを塗った唇に光沢が出てきた。

「美人だね」と息子。

お袋がクスッと笑顔になった。

一言、「子馬鹿」。

目鼻口がくっきりして、若いころは左右の眉毛がくっつき、一本のようになって、勝ち気、負けん気のあふれんばかりの顔立ちをしていた。

それを気にして、暇を見つけては毛抜きで眉の間を広げていた。

美人姉妹---。

お袋の妹は、女子アナ、高級クラブのママのような美人だが、お袋はアイドルタレントか、女優のような顔立ちだった。

年齢を重ねても、その美貌は衰えず、しわもない。

孫のお母さんがたから、「かわいい」と言われて、お袋も「この年でかわいい、なんて」とまんざらでもなかった。

人間誰でもけなされるよりも、褒められる方がいい。

お袋は家族からも他人からもけなされることなく、ほとんど褒められぱなっしの一生だった。

寝たきりの状態になっても、「幸せだった」と言えたのも、周りから大切にされ、チヤホヤされてきたのかもしれない。

「幸せだった」というこの言葉は、残された家族には何よりも嬉しい。

お袋は、疾風怒濤の昭和と平成という時代を思う存分、駆け抜けた。

充実感あふれる生涯を送ったことだろう。
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亡き母を偲ぶ(3)
2008-08-16 Sat 10:10
お袋がこの6月1日に倒れた。

亡くなる後までを案ずるお袋は、兄弟が仲良くすること。

そして実家に来るときは、少し多めにお金を持ってきて供えること。

来る方も来易いし、迎える方も、そんなに嫌な顔をしないだろう。

その分は残しておくから、相続は放棄するとは言っていけない。

ちゃんと3分の1をもらっときなさい。

よく考えている。

家族とって、息子にとって、何が一番ベストなのか。

いつも感じているが、お袋の愛情がどれほど深いものなのか。

亡くなってから、このシーンがよく思い出され、涙が出てくる。

「愛も何も、お金で全てを買える」というホリエモンのような品性下劣なことは言わないが、現実としてそれを認めていたのだろう。

この8月から北京五輪が始まった。

長野五輪・スピードスケート500メートルで、清水宏保選手が金メダルに輝いた。

その金メダルを母親の首にかけて、親孝行する清水選手にお袋は涙した。

アテネ五輪・女子レスリングで父親・アニマル浜口と娘・浜口京子の親子がつかんだ銅メダルには、感動のあまり、テレビの前で、スタンディング・オベーションで拍手を送る。

その一方で、大相撲・横綱・貴乃花が兄・若乃花と兄弟けんかをして、母である女将さんと口を利かないというときは、テレビの前で、貴乃花をしかりつける。

自分の人生と重ね合わせ、家族のことになると、ムキになって、過敏に反応する。

お袋は亡くなった後、墓は必要ないとしていた。

孫は一人、女の子。

墓を作っても負担が大きくなる。

嫁に行けば、無縁仏。

そこで兄(長男)の提案で、地元のお寺に、お袋と健在の親父(夫)、そして兄(長男)夫婦、それに次男(私)の5人一族を一緒に納骨して、お経をよんでもらおう、ということになった。

また、あの世で5人が一緒になる。

生前に家族思いのお袋にそのことを伝えておけば、きっと喜んでくれただろうに・・

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亡き母を偲ぶ(2)
2008-08-15 Fri 09:10
お袋が亡くなって、初めて知った。

玄関にある靴入れ、親父の皮靴2つのほかは、すべてお袋の靴、サンダルなどだった。

そこに入り切らないものは、きちんと整理して、靴箱に入れて、屋外通路に並べてある。

ブランド品ではないが、どれも物はよく、デザインセンスもいい。

ほとんど新品に近いものも多い。

これだけのものをよく買い集めたものだと感心してしまう。

だが家族の中で、誰もお袋に意見する者はいない。

自分で稼いだお金だから、靴をいくつ買おうが、何をしようが、自分の好きなようにすればいい。

かつて東海地方を襲った集中豪雨。

我が家の玄関に水が入ってきて、見る見るうちに水位が高くなってきた。

そしてついに床の上まで水位が上がってきた。

住民に避難勧告が出た。

記憶が定かではないが、親父と息子2人の3人は、救助ボートに乗って、中学校でも避難したのであろう。

ところがお袋は一人自宅に残った。

お袋にとっては、命の次に大事な株券などの財産を残して、避難するわけにはいかなかった。

そのまま水位が上がって、住まうところが無ければ、屋根に上って一夜を明かしたかもしれない。

家族を守り、一家を支えたのは、お袋だった。

とにかくどんなことにも一生懸命だった。

若い頃には、朝5時に起きて、洗濯、食事の用意。

7時半には食事が終わって、後片付け。

8時から内職。そしてラジオ短波放送のスイッチを入れる。

株式市況を聞くのが日課だった。

高度成長とともに歩んだお袋は、一山当てた。

生前、お経は来示短波を流してくれていい、と冗談を飛ばしていた。

お袋のひつぎには、愛読書の会社四季報が入った。

お袋に思いが詰まった会社四季報には、人生が凝縮している。

お袋は、会社四季報を天国まで持っていった。
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亡き母を偲ぶ(1)
2008-08-13 Wed 21:10
市会議員が側溝の工事をすると、我が家に来て言ってきた。

工事は西から東へ流れる側溝を、反対に東から西へと逆流させるものだった。

側溝と我が家の塀は一体となており、側溝の工事は当然、塀に影響を及ぼす。

しかも東西の高低差で雨水や生活廃水がマスに流れ込むものを、何でまた反対に低いところから高いところへ逆流させて、流し込むのだろうか。

お袋は納得できず、市会議長のところへ相談に行った。

自分の言うことに無理があるのか、議員の言うことに無理があるのか。

すぐさま、市の土木部が現地調査して、議員に側溝工事が無理だと伝えたのだろう。

議員がすぐにすっ飛んできて、お袋に言い訳ばかりする。

「役に立たない議員」との悪評が立つのを恐れたのか、その日を境に、議員はお袋にご機嫌取りばかりするようになった。

街で顔を見れば、飛んで来て挨拶。

町内の行事で見つければ、真っ先にお袋に挨拶。

親父が市広報誌に俳句を投稿すれば、議員は「私が推薦した」と胸を張る。

この議員は、どうもお袋の性格が分かっていない。

そんなことをしても、お袋が喜ぶわけがない。

えこひいきは結構、公明正大にやってもらえればいい、というのがお袋の考えだろう。

この議員の態度を見て、公職についている有力者や部落のボスたちまでもが、お袋に一目置くようになった。
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亡き母を偲ぶ・最期の言葉
2008-08-10 Sun 15:56
「今日は、何も差し入れできなくて、ごめんね」

次男に対するお袋の最期の言葉だった。

泣けてくる。

ベッドの上で、もう寝ているしかない、お袋がまだ母親として、息子に何かをしてやりたい愛惜の念が伝わってくる。

十分、愛情を注いでくれた。

してくれた何分の一も、お返しができなくて、こちらこそ「ごめんね」だった。


5月最後の日曜日、大型ショッピングセンターにあるアイスクリームショップで、チョコアイスクリームをご馳走した。

べたつくから、嫌がっていたお袋も、食べてみると、「おいしい」というから、次はストロベリーを食べようと約束した。

だが、それも叶わぬ夢幻と消えた。

8月第1日曜日の夜、お袋からプレゼントされた新品のパジャマを着て、一緒に寝る約束をした。

「そこまで命があればね」と冗談交じりに言う、お袋の声は、「死に対して恐れるものはない。もう十分生かしてもらった。心優しい2人の息子と兄嫁に囲まれ、幸せな一生を全うした」という充実感に満ちたものだった。

だがチョコと一緒に寝る2つの約束は果たせなかった。

お通夜の日、お袋の棺の前で、お袋からプレゼントされたパジャマを着て、朝までほとんど寝ることなく、一緒にすごした。

ここまで、お袋にいいところを見せられなくて、自らの不甲斐なさに、涙が止まらなかった。
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永遠の眠りに付いたお袋
2008-08-08 Fri 22:53
茫然自失、自己の存在を見失った。

7月25日、早朝、お袋が息を引き取り、永遠の眠りに付いた。

5月下旬、あんなに元気で、2人でチョコアイスクリームを食べたのに、6月1日、突然、食事が取れなくなり、一人で歩けなくなった。

そのときは、年内か来年の命とつぶやいていたのに、会うたびに死期が早くなって、8月第1日曜日の夜、二人で寝ようと電話で話したら、「もうそこまでもたない」と冗談交じりに電話を切られた。

そして亡くなる数日前には「いつお迎えが来てもいい」と達観していた。

2人の息子と兄嫁から、大切にされ、「幸せ」「感謝」「ありがとう」と幾度も口にした。

息が止まって、開いていたが口が閉まってしまった。

手をさすっても、呼んでも反応が無い。

あふれる涙は、もう止まらない。

兄嫁に「よくやってくれました。本当にありがとう」と声をかけたのが精一杯だった。

兄嫁は「おばあちゃんが大好きだった」と答えてくれた。

お袋のもともとの家系はいい。

何十丁簿という大地主で、造り酒屋の孫、直系宗家。

大屋敷は、普段、大門にある小門を利用するが、つつじが咲くころに年に一度だけ、大門を開く。

近所の人たちが、弁当を持って、行楽に訪れたという。

子どもたちは、乳母日傘で育ったという豪商も、保証人になったばかりに、没落。

セリで蔵から持ち出された骨董品は、お寺の本堂に並びきれなかったという。

お袋の子ども時代、親類の宝石時計店からかわいがられ、贈られたイヤリングを耳にして、高級腕時計をして、ルーペや顕微鏡をもって、小学校に通ったという。

その恩義をお袋は生涯、忘れなかった。

時計店のご主人は若くして亡くなり、おば様は外に働きに出ることなく、遺産で子ども4人を育て上げたが、老後は悲惨。

お袋は、服上下から、ぞりまでをプレゼントしたり、喫茶店、飲食店に誘って、「娘より大事にしてくれる」と感激された。

家族が基本。他人は信用しない。

だが、ひとたび信用すると、とことん付き合う人だった。

工務店の棟梁がお通夜に来てくれた。

リフォームやら水道行為業者ら営業が来ても、全て断るのも、仕事ぶりと人間性が気に入った棟梁との深い付き合いがあるから。

美容院の先生も、通夜に駆けつけくれた。

名古屋近郊から岐阜県境に独立開業されたが、腕と人柄で、わざわざ何十キロと離れた美容院に、兄嫁の運転する車で通う。

ボブカット、おしゃれなお袋のお気に入りのヘアスタイルは、何十年も変わらない。

家族の中で、家族の悪口を言うと、たちまち機嫌が悪くなる。

他人に家族の悪口は一切言わないし、いい事でも、あまり語りがたらない。

人を騙すことはしないし、また騙されない人だった。

お袋には、ごまかしがきかない。

だから正直に話すしかなかった。

子どもの頃、聞かされたことわざがある。

「人を呪わば、穴二つ」

「人を悪く言ったり、人を陥れようと穴を掘っていると、自分が落ちる穴まで掘っている」と説明を受けた。

気位が高く、気高く生きた人生だった。
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友達申請
2008-08-01 Fri 19:19
このほど、「友達申請」を受けましたが、うっかりそのお知らせメールを削除してしまいました。

誠に申し訳ありません。

承諾させていただきたい、と思っています。

お手数ですが、再度、申請お願いします。
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| 満ちると欠ける〈恋と月〉(^ε^)-☆Chu!! |
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